AIで翻訳されるからこそ英語に触れる回数を増やす
記録AIが編集した二次情報
今日、ちょっと気になったニュースの見出しがあった。東京大学に価値創造学部みたいなものが新設されて、2027年からすべて英語で授業をするという話だったんだよね。
その記事のコメント欄に、「自動翻訳があるのになぜ英語なのか」みたいな、ちょっと小馬鹿にしたようなコメントがあった。でも、これって結構大事なんじゃねえかなと思っている。
要は、英語がすげえ大事なんだよね。英語を話せる、聞ける、見て理解できる。そういった能力は、おそらくAIのど真ん中にある。でも、ど真ん中にあるからこそ、それを人間ができることに価値が出るんじゃねえかなと思っている。
AIでできるけど人間でできない人が少ないから価値になる
AIでできるから、人間には必要ない。普通はそう考えるじゃん。でも、人間でできる人が少なくなるから、逆にそこが価値になる。コミュニケーションもそうだけど、別に必要はないと思われていた能力に、後からプレミアがつくパターンって結構あるんだよね。
例えば、俺の特技の一つに、ふざける能力がある。俺って意外と真面目にいろいろ考えているんだけど、ふざける能力もめちゃくちゃ高い。それが世間から評価されて、今はコンテンツに生きている。
頭が良くて、めちゃくちゃ考えられる人が、良いコンテンツを作れるかというと、そうでもないじゃん。その人たちが作るコンテンツは面白くなかったり、再生数が取れなかったりする。考えられる人の母体が小さいというのもあると思うけど、考えられることと、面白いものを作れることは別なんだよね。
真面目にふざけている
俺は考えるのが好きだし、それがずば抜けているとは思わないけど、考えられる能力と、ふざけられる能力の両方がある。多分、それが俺の強みで、YouTube運用もうまくいっている理由だと思っている。
自分のSNS発信ではふざけていないけど、俺が運用しているメディアは、基本的にドパガキ向けにコンテンツを作っている。真面目にやっているけど、正しく言えば、真面目にふざけている。
意外とふざける能力が高い人は少ない。そこに、ふざけられるけどちゃんと考えられるという部分もある。この二つが噛み合って、再現性につながっているんじゃないかなと思う。こういう能力って、一見必要なさそうでも、意外と後から回収できるんだよね。
英語を学ぶんじゃなくて、英語に触れる回数を増やす
最近、英語を学ぶ人が意外と増えている。俺も最初は、AIで翻訳できるから勉強する意味はないでしょうと思っていた。でも、意外と英語を学ぶ人が多いから、多分みんな、そこの重要性に気づいているんじゃないかなと思っている。
東大みたいな賢いところも、すべて英語でやろうとしている。だから、AIで翻訳されるからこそ、英語を話したり、聞いたり、見て理解したりする能力が必要になってくるんじゃないかなと思う。
俺的には、英語を勉強するというより、英語に触れる回数を増やすのが大事だと思っている。例えば、最近コーディングをやっているじゃん。AIを使ってやると、コーディングのキーワードがいっぱい出てくる。キーワードは全部英語だから、そういうものにはもう触れているんだよね。
勉強するんじゃなくて、触れる回数を増やす。日本語も、触れる回数が多いから話しているわけでしょ。だったら英語も、触れる回数を増やせば話せるようになる可能性がある。話せないにしても、真似すればいい。触れる回数の中で真似たり、それを理解したりすることが大事なんだと思う。
キーワードを組み合わせるだけで多分話せるようになる
日本語も、最初にキーワードである漢字を習って、それをずっと繰り返すから、無意識に話せるようになっている。文章も基本的にはキーワードを見つけて深掘りしていく感じじゃん。英語も多分同じで、英語のキーワードにいっぱい触れて、そのキーワードを組み合わせるだけで、多分話せるようになってくると思う。
だから、英語を学ぶことではなく、英語に触れる回数を増やすことがセンターピンになるんじゃないかな。ここは意識的にやっていこうと思っている。
最近はコーディングエージェントもAIも基本的に英語だから、触れる回数が増えてきた。YouTubeを英語で見たときも、キーワードだけ理解できることがある。理解できるキーワードが増えれば、聞くことも、見ることもできるようになって、最終的には話せるようになる可能性が高い。多分、ほぼその流れだと思う。
英語を実際に理解して、話して、聞ける人間は、逆にプレミア価値が高くなる可能性がある。英語学習は一見無駄に思えるかもしれない。英語はAIのど真ん中だからね。でも、それでも英語を学ぶことが大事になる可能性が高いなというのを、今は肌で感じている。